教皇、聖ヨセフの徳を観想、日曜正午の祈り
教皇レオ14世は、12月21日(日)、バチカンでお告げの祈りを巡礼者と共に唱えられた。
待降節第4主日、教皇は祈りの前の説教で、同日の福音朗読箇所、マタイ福音書1章に記されるイエス・キリストの誕生の経緯(マタイ1,18-24)から、聖ヨセフの姿を観想された。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
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今日、待降節第4主日、典礼は聖ヨセフの姿を観想するようにと招きます。福音は特に、神が夢の中でヨセフにその使命を啓示された時のことを語っています(参照 マタイ1,18-24)。こうして救いの歴史における非常に美しい一ページがわたしたちに示されます。その主人公ヨセフは、わたしたちと同じように弱くもろい人間ですが、同時に勇敢で強い信仰を持った人物です。
福音記者マタイは、ヨセフを「正しい人」(参照 マタイ1,19)と呼んでいます。これはヨセフが律法を守り、会堂に通う、敬虔なイスラエル人であったことを示しています。しかし、それ以上に、ナザレのヨセフは、非常に感受性の高い、人間的な人としての姿を見せています。
このような特徴は、マリアにおいて成就しつつある神秘を天使がヨセフに明らかにする以前に、理解することも、受け入れることも難しい状況に直面した彼が、未来の花嫁に対して、スキャンダルと公の場での非難の道を選ばずに、ひそかに縁を切ろうと(参照 マタイ1,19)、慎重で、慈悲深い道を選んだ時に見ることができます。こうして、ヨセフが、自らが守る宗教的戒律の最も深い意味、すなわちいつくしみの意味を理解していることがわかります。
しかし、主が夢の中でヨセフに救いのご計画を明らかにされ、彼が担わねばならない予期せぬ役割、すなわちメシアの母であるおとめの夫となることを啓示された時に、聖ヨセフの純粋さと感情の高潔さはさらに明らかなものとなります。実際、ここで、ヨセフは信仰を表す偉大な態度をもって、最後に残った自らの安全さえ捨て去り、もはや神の御手に完全に委ねられた未来に向かって漕ぎ出したのです。聖アウグスティヌスは、ヨセフのこの同意について、次のように表現しています。「ヨセフの敬虔さと慈愛のもとに、おとめマリアから御子が、まさに神の御子がお生まれになりました」(Sermo 51, 20.30)。
敬虔さと慈愛、いつくしみと献身。これらがナザレのヨセフが持つ徳です。今日の典礼は、聖なる降誕祭へと向かうこの待降節最後の日々に、わたしたちがこれらの美徳と共にあるようにと招いています。これらは、キリストと兄弟たちとの出会いに向けて心を教育し、わたしたちが互いにとって温かなプレゼピオ、もてなしに満ちた家、神の現存のしるしとなることを助けてくれる重要な態度です。この恵みの時、わたしたちが共に暮らす人々や出会う人々に、ゆるしと、励まし、小さな希望をもたらし、そして祈りにおいて、主と主の御摂理への子としての完全な信頼、主へのまったき委託を新たにする機会を失わないようにしましょう。
信仰と大きな愛のうちに世の救い主イエスを最初に迎え入れたおとめマリアと聖ヨセフが、こうした実践において、わたしたちを助けてくださいますように。