教皇「神の国はもっとも小さな種のように訪れる」
教皇レオ14世は、7月19日(日)正午、カステルガンドルフォの教皇宮殿前に集った信者たちと、お告げの祈りを唱えられた。
年間第16主日、教皇は祈りの前に、この日の福音朗読箇所、マタイ福音書中の、よい麦と毒麦、からし種、粉の中のパン種のたとえ(13・24-43参照)を取り上げ、説教を行われた。
教皇の説教は以下の通り。
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親愛なる兄弟姉妹の皆様。こんにちは。
種を蒔く人のたとえ話の後、イエスはいくつかのたとえを通して群衆に語り続けます。すなわち、よい麦と毒麦、からし種、粉の中のパン種のたとえです(マタ13・24-43参照)。
これらの三つの短いたとえ話は、歴史における神の国の到来、人々の生活におけるその働き、そしてそれが成長、拡大し、世界を内側から造り変えるしかたを思い起こさせようとします。イエスはこれらの物語によってわたしたちをある誘惑に対して警戒させます。それは、神を、力ずくで自らを押し付け、支配するために場を占領し、勝利を収める者として到来する、強力な方として考える誘惑です。その反対に、神は小ささを好みます。小ささは、神ご自身のつつましい愛を表すしるしです。この愛は、それを受け入れるか拒むかの自由をわたしたちに与え、毒麦の中でも道となろうと努め、もっとも小さな種のように隠れた目に見えないしかたで働き、音を立てずにパン生地をふくらませます。
兄弟姉妹の皆様。イエスはこれらのたとえ話によって、神がわたしたちの人生と歴史の中で働くしかたに関してある重要なことを語られます。わたしたちは時として何か大きなことが起きるのを期待します。神が高いところから手を下して、悪の毒麦をただちに引き抜いてくださることを望みます。わたしたちは強く力に満ちた神を想像し、残念なことにキリスト信者と教会のあり方をもそうしたイメージに当てはめます。しかし、神の国は毒麦の中でも広がります。そして、すべてのことをすぐに判断せず、悪の暗闇の中でも善が芽生えるのを見分けることができるまなざしをもつようにわたしたちに求めます。神の国はもっとも小さな種のように訪れます。そのためそれは、日々の小さなことがらのうちに、単純な日常生活の中にそれを見いだすことによって、その過程に同伴できる忍耐を要求します。神の国は、粉の中のパン種のように目に見えないしかたで成長します。こうしてそれはわたしたちを失望から解放し、神がおられないかのように思われるときにも信頼をもつようにわたしたちを招きます。なぜなら、実際には神はつねにわたしたちとともにおられ、神の愛はつねにわたしたちのために働いてくださるからです。
このような神の働き方が、わたしたちが個人としても教会としても自分たちの周りの現実を生きる方法とならなければなりません。わたしたちは福音的な生き方を採用するように招かれています。――傲慢な判断によって性急に反論したり、神のわざに対する信頼を失ったりせずに。それは――当時のラッツィンガー枢機卿が述べたとおり――種の論理に従うことです。種の論理は、成功や偉大さの論理ではなく、わたしたちが小さい者となり、人々の生活に奉仕することを求めます(J・ラッツィンガー「カテキスタ・宗教科教員大会での講話(2000年12月10日)」参照)。そうすれば、わたしたちも、成長する福音の小さな種や、世のパン生地を造り変える愛のパン種のようになることができます。
小ささのうちにみことばの種を受け入れることができた至聖なるマリアに祈ります。マリアがわたしたちの歩みを支え、わたしたちのために執り成してくださいますように。
(カトリック中央協議会訳)
