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教皇レオ14世 2026年1月7日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール 教皇レオ14世 2026年1月7日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール  (@Vatican Media)

第2バチカン公会議と公文書めぐる考察を開始、教皇一般謁見

教皇レオ14世は、1月7日(水)、バチカンで一般謁見を行われた。

 教皇レオ14世は、1月7日(水)、バチカンのパウロ6世ホールで、今年最初の一般謁見を行われた。

 前日6日、主の公現の祭日、聖ペトロ大聖堂の「聖なる扉」が教皇の手によって閉じられ、2025年の通常聖年が終了した。

 その翌日にあたるこの一般謁見で、教皇は「第2バチカン公会議、その公文書を通して」と題された新しいカテケーシスのシリーズを開始された。

 この日は、その初回として、導入的な考察が行われた。

 教皇はこの一連のカテケーシスの目的は、第2バチカン公会議という「この教会上の出来事の素晴らしさと重要性を再発見すること」にあると説明された。

 教皇によるカテケーシスの要旨は以下のとおり。

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 聖年の間、わたしたちはイエスの生涯の神秘を考察しました。聖年を終え、これから新しいカテケーシスのシリーズを始めましょう。これは、第2バチカン公会議とその文書の再読をテーマとするものです。これは、この教会上の出来事の素晴らしさと重要性を再発見する貴重な機会です。聖ヨハネ・パウロ二世は、紀元2000年の大聖年の終わりに、次のように述べています。「わたしは、教会が20世紀を豊かにした最大の恵みとして公会議を指し示す義務を、今まで以上により深く感じています」(使徒的書簡『新千年紀の初めに』57)。

 2025年は、ニケア(ニカイア)公会議開催1700年の記念と共に、第2バチカン公会議閉会から60周年を迎えました。この出来事からそれほど多くの時間は経っていないとしても、今では、同公会議に関わった司教、神学者、信徒たちの世代ではなくなっています。よって、その預言を消さないようにとの招きを感じ、その直感を実現する道や方法を模索する今、それに再び近づき親しむためには、「このように聞いたから」という態度や、既成の解釈を通してではなく、その諸文書を再読し、内容を深く考察することが大切です。実際、それは、今日でも教会の歩みの指針となる教えだからです。それは、ベネディクト16世が次のように教えたとおりです。「年月が経っても、これらの文書は現代性を失っていません。その教えは、教会と現在のグローバル化した社会が直面する新たな課題において、特別な関わりをもっていることがわかってきました」(コンクラーベに参加した枢機卿たちとのミサ後の最初のメッセージ、2005年4月20日)。

 1962年10月11日、公会議の開会にあたり、教皇聖ヨハネ23世はそれを全教会にとっての、光の日の夜明けだと話しました。実際、すべての大陸から訪れた多くの公会議参加司教たちの働きは、教会の新たな時代への道を開きました。20世紀を通じて行われた聖書、神学、典礼をめぐる深い考察を経て、第2バチカン公会議は、キリストにおいてわたしたちをその子らとなるよう招く父としての神の姿を再発見しました。また、諸国民の光であるキリストの光に照らして、教会を、神とその民との交わりの神秘、一致の秘跡として捉えました。公会議は、重要な典礼改革に着手し、救いの神秘と、神の民全体の積極的で自覚ある参加をその中心に据えました。同時に、それは、人類に両腕を広げ、人々の希望と苦しみに耳を傾け、より正義と兄弟愛に満ちた社会構築への協力を願う教会として、わたしたちが世界に向けて自らを開き、対話と共同責任を通して現代の変化と課題を受け入れることを助けました。

 第2バチカン公会議のおかげで、エキュメニズム、宗教間対話、善意ある人々との対話を通じて、真理を追求しながら、「教会は言葉となり、教会はメッセージとなり、教会は対話となる」(聖パウロ6世、回勅『エクレジアム・スアム(教会について)』67)ことができるようになりました。

 この精神、この内的姿勢は、わたしたちの霊的生活と教会の司牧活動の特徴となるべきです。なぜなら、わたしたちは、教会における役務的観点から教会の刷新をより完全に実現すべきだからです。また、今日の課題を前に、わたしたちは、時代のしるしに注意深く耳を傾け、福音を喜びをもって宣べ伝え、正義と平和の勇気ある証人であり続けるよう求められているからです。後に教皇ヨハネ・パウロ1世となった、ヴィットリオ・ヴェネトの司教、アルビーノ・ルチアーニ師は、公会議の始まりに次のような言葉を預言的に記しました。「組織や、方法、構造よりも、より深く広い聖性を実現する必要がいつも存在します。[…] 公会議の素晴らしい豊かな成果は、何世紀もの後、明らかになり、対立や逆境を困難のうちに乗り越えた果てに、その実りは見られるのかもしれません」(公会議をめぐる覚え書き、著作集第2巻)。つまり、教皇フランシスコが述べているように、公会議を再発見することは、「神を何よりも上に置き、主に対する愛と、主が愛するすべての人々に対する愛に燃える教会を優先する」ことに役立つのです(第2バチカン公会議開始60周年記念ミサ説教、2022年10月11日)。

 兄弟姉妹の皆さん、聖パウロ6世が公会議の作業終了時に参加司教たちに語った言葉は、今もなお、わたしたちに指針を与える一つの規範となっています。パウロ6世は、出発の時が来た、公会議を離れて、人類のもとへ赴き、福音の良き知らせを伝える時が来た、と宣言したのです。それは、過去、現在、未来が凝縮された恵みの時を過ごしたという自覚のもとになされた宣言でした。パウロ6世はこう述べています。「過去:なぜなら、キリストの教会は、その伝統、歴史、公会議、教会博士、聖人たちと共に、ここに集っているからです。[...] 現在:なぜなら、わたしたちは、貧しさ、苦しみ、罪といった、また同時に、驚くべき成果、価値観、徳といった、今日の世界に向かうために公会議を離れるからです。[...] 最後に、未来は、いっそうの正義に対する人々の切実な訴え、平和への願い、より高みを生きることへの意識的、無意識的な渇望の中にあるからです。そして、それこそが、まさにキリストの教会がこれらの人々に与えることができ、与えたいと願うものだからです」(聖パウロ6世、公会議参加司教たちへのメッセージ、1965年12月8日)。

 わたしたちにとっても同じです。第2バチカン公会議の文書に親しみ、その預言性と現代性を再発見しながら、教会の豊かな伝統を受け入れると共に、現在について自問し、神の御国の福音、愛と正義と平和の王国の福音をもたらすために、世界との出会いに駆け出す喜びを新たにしましょう。

07 1月 2026, 17:32