主の降誕2025:教皇「平和は存在し、わたしたちの間にある」
2025年12月25日、「主の降誕」の祭日、教皇レオ14世は、バチカンの聖ペトロ大聖堂で降誕祭の日中のミサをとり行われた。
教皇自らが、24日の「主の降誕」の夜半のミサに続き、25日の日中のミサをも司式されるのは、聖ヨハネ・パウロ2世による1994年12月25日のミサ以来となった。
前夜同様、聖堂内は、地元ローマやイタリアはもとより、世界各国から訪れた巡礼者たちでいっぱいになった。
教皇はこのミサの説教で、「歓声を上げ、共に喜び歌え」(イザヤ52,9)と叫ぶ平和の使者の声は、すべての復興を余儀なくされた廃墟の街の人々に響く、と述べられた。
「預言者イザヤが言うように、たとえほこりにまみれ、傷だらけであっても、良い知らせを伝える者の足は美しい(参照 イザヤ52,7)、なぜなら、長く険しい道を経て、今、すべてが再生する、喜びの知らせをもたらしたからである」と教皇は話された。
「新しい一日が始まった。わたしたちもこの転換の時に参与している。まだ誰も信じていないように見えても、平和は存在し、すでにわたしたちの間にある」と教皇は呼びかけた。
「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。今や肉は語り、わたしたちと出会いたいとの神の望みを叫ばれる。言はわたしたちの間にその儚い幕屋を建てられた」と教皇は主の降誕を観想。
同時に教皇は、何週間も雨風と寒さにさらされているガザの幕屋、あらゆる大陸における多くの難民・避難民のテント、あるいはわたしたちの街に住む多くのホームレスの人々の応急の避難所に思いを向けられた。
また、教皇は、瓦礫と開いた傷跡を残す戦争の試練にさらされた無防備な人々の肉体の脆さ、武器を手にすることを強いられた若者たちの心と人生の脆さ、そして、前線で彼らに要求されることの無意味さ、彼らを死へと送り出す者たちの虚偽に満ちた言葉、といった重い現実を見つめられた。
「他者の脆さがわたしたちの心に染み入り、他者の苦しみがわたしたちの揺るぎない確信を打ち砕く時、そこにすでに平和は始まっている」とレオ14世は強調。
「神の平和は、受け入れられた幼子の泣き声、耳を傾けられた嗚咽から生まれる。それは、新たな連帯を願う廃墟の間に、預言のように歴史の流れを変える夢やビジョンから生まれる」と話された。
「わたしたちが独白を中断し、傾聴によって豊かにされ、他者のありのままの肉を前にしてひざまずくとき、平和が訪れるだろう」と教皇は説かれた。
教皇は、教会の母、福音宣教の星、平和の元后、おとめマリアを通して、「力の誇示からは何も生まれないこと、受け入れられたいのちの静かな力からすべてが再生すること」を学ぼう、と招かれた。
ミサ終了後、教皇は大聖堂を出られ、聖ペトロ広場を特別車パパモービルで一巡、詰めかけた人々に祝福をおくられた。
同日正午、教皇は恒例の「ウルビ・エト・オルビ」をとり行われた。
聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーからクリスマスメッセージを読み上げ、イタリア語、英語など、いくつかの言語で降誕祭の挨拶を述べた教皇は、ローマと世界に向け、祝福をおくられた。
