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聖金曜日:パソリーニ神父:十字架が示す「効率ではない、愛に基づく選択」

聖金曜日の夕方、バチカンで「主の受難の儀式」がとり行われた。

 復活祭目前の金曜日、4月18日、カトリック教会の典礼は、主イエス・キリストの十字架上の死を記念した。

 この聖金曜日の夕方、「主の受難の儀式」が、バチカンの聖ペトロ大聖堂でとり行われた。

 儀式は、教皇フランシスコの代理として委託を受けた、教皇庁東方教会省長官クラウディオ・グジェロッティ枢機卿によって司式され、教皇付説教師、ロベルト・パソリーニ神父による説教が行われた。

 およそ4500人の参列者の中には、イタリアを訪問中のバンス米副大統領とその家族の姿も見られた。

 儀式は、聖堂の床に付したグジェロッティ枢機卿の沈黙の祈りから始まった。

 みことばの祭儀では、「ヨハネ福音書」におけるイエスの受難と死(18,1-19,42)が、三人の助祭により朗唱された。イエスが息を引き取られた箇所では、深い沈黙の中で、参列者らはひざまずき、頭をたれた。

 次いで、パソリーニ神父は説教で、わたしたちキリスト者は、「神が世界を救うために選ばれた方法への全幅の信頼」を新たにし、「人生で出会う受難、死、復活という運命と自分自身を和解させる」ことができる、と述べた。

 そして、「十字架の道」とは、キリストが示す「救いの歩み」であり、「最も重大な困難にあっても、御父を最後まで信頼し、その御旨に導かれることを望む者には、誰にでも開かれた」道である、と説いた。

 新しい「人工」知能が発達し、「何を望み、何を考え、誰になるべきかさえ、アルゴリズムが示唆するように思われる」この世界で、十字架は「効率ではなく、自らを捧げる愛に基づく真の選択の可能性をわたしたちに取り戻させる」と話した。

 説教の後、聖金曜日の盛式共同祈願が行なわれた。

 「十字架の崇敬」では、十字架を手にした助祭が祭壇に向かって歩みながら、三度にわたり立ち止まり、十字架を高く掲げた。「世の救い主、キリストがつけられた木の十字架を見つめよ」との朗唱に招かれ、人々は十字架を崇敬した。

 続いて、グジェロッティ枢機卿に始まり、代表者ら一人ひとりが、十字架の前で頭を下げ、磔刑のイエス像に接吻し、崇敬を表した。

 最後に祭壇前にもたらされた十字架をすべての参列者がうやまった。

 儀式の終わりに聖体拝領が行われ、会衆は静かに解散した。

 

18 4月 2025, 14:56